一橋大学柔道部

魂魄留道場~東京国立・有備館より~

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2012年04月月報

2012年04月月報「一道」祝・卒業記念号
<未来へ羽ばたく先輩方へ感謝>

*目次
1.福谷副会長ご挨拶
2.信州・千葉大春合宿を終えて(2年 福島)
3.今月取り組み目標
4.今月のイベント
5.OBリレートーク(長濱先輩 H3年卒)
6.卒業に寄せて(山田先輩、丹羽先輩、山岸先輩)
7.卒業する先輩方へ(主将 板羽)
8.編集後記

1.福谷副会長ご挨拶
「ご挨拶」
昭和50年経卒 福谷健吉
 皆様 お元気でお過ごしのことと存じます。このたび伝統ある一橋柔友会の副会長をおおせつかりました。長崎の地にいて果たしてつとまるかと戸惑いました。しかし、九州地区担当とのこと、荻原新会長の指導の下、他の役員の方と力を合わせて、先輩方が守ってこられた柔友会・柔道部の伝統を汚さぬようつとめようと決意しました。荻原勝年新会長は私の一学年下の名主将でした。三商大戦では五人抜きをやってのけたり、神戸大の140㎏の巨漢山上選手を得意の背負い投げで見事に投げ飛ばした姿などが鮮やかに思い出されます。そして、現在MKVドリーム(株)の社長として、肥料と農ビの大家として活躍されています。荻原新会長がその卓越した指導力で柔友会・柔道部を力強くリードされることを確信しております。
 私は現在長崎県大村市で不動産賃貸業の小さな会社を悪戦苦闘しながら切り盛りしております。佐世保市在住の一橋大柔道部の長島達明先輩(昭和35年卒)にはいつも親しくご指導いただいております。
 自宅から大村市の武道館が歩いて5分と近くにあり、少年柔道の指導を20数年続けております。教え子の中から小学生・中学生・高校生共、毎年数人の長崎県チャンピオンを出しています。高校生からは九州チャンピオンを、小学生からは全国2位の選手を育てることができました。いつの日か全国チャンピオンを育てることが指導者の端くれとしての私の夢です。
 少年柔道指導のかたわら自らも長崎県・九州・全国高段者大会(6段の部)へ出場を続けております。柴山先生のご長男の誠一さんも私と年齢が近いので同じくらいの順番で毎年出場されています。
 柴山先生はじめ一橋大学の柔道部・柔友会の皆様からは本当に沢山の「何物か」をいただき続けております。このご恩に報いるためにも副会長として一生懸命つとめて参ります。今後ともご指導をよろしくお願い申し上げます。来崎の折りは是非ご連絡ください。


2.信州・千葉大春合宿を終えて
新2年 福島徹
3月9日から3月11日にかけて一橋大学道場、有備館にて信州大・千葉大との春合宿が行われた。信州大とは、例年冬オフ明けのタイミングで合宿を行っている仲であるそうなのだが、いつからこのように毎年行われる合同稽古が始まったのかは、いささか興味深いところがある。千葉大は柔道界に顔が広い寺田先輩のご縁で練習に参加頂いた。
最近では現4年生の引退に伴って、平日は1年生のみによる少人数稽古が多い。それを補うために、東経・上智・学芸大など近隣大学へ積極的に出稽古を行っているものの、それでも週の大半は少数人数での稽古である。信州大学においても本年は1年生部員は誰も入部しなかったそうだ。信州大が上級生のみの参加となった現状が昨今の柔道界における部員減少を示しているとつくづく感じる。とはいえ、3日間にわたる稽古は大変活気に溢れるものだった。「多種多様な相手と乱取りを行う。最終的にはその積み重ねが力になる」とは野瀬師範による今回の合宿でのご講話であるが、個人的にも今回の合宿や最近の出稽古を通じて、この金言の意味が理解できたと感じている。
松永先生からは「ローリング」や「2段巴」、足抜きでの上半身の極め方など、大変ためになる講習をしていただいた。松永先生とは、寝技乱取りの稽古を付けて頂いたのだが、まるで赤子の手をひねるかのように、七帝で磨かれた返し技で幾度となく天井を仰ぐこととなった。来年お会いする機会があれば、今回講習して頂いた技を身に着けた上で、日々稽古に励み、少しでも上達した姿をお見せすることができればと思う。
3月11日は今年の信州大合宿の最終日であった。平穏な日々の中、恵まれた環境で柔道ができる現実を再認識しつつ、来年度もまた有備館で信州大との合同春合宿が開催されることを願うばかりだ。


3.今月の取り組み目標
・熱烈に新入生の勧誘活動を行う
・現役部員は時間を見つけて筋トレ・一人打ち込みなどで基礎力向上


4.今月のイベント
・2日 入学式
・6日 授業開始日
・7~8日 新歓合宿オリター
・29日 全日本選手権観戦&新歓コンパ


5.OBリレートーク
平成3年卒 長濱裕志
3月号の岩垂君から「長濱先輩にバトンを渡したい」との依頼がありました。ここしばらく私事でゴタゴタしており、柔友会幹事の一人であるにもかかわらず幹事会にもなかなか出られない状態です。私なんぞがこういった場に登場して良いものだろうかと考えましたが、卒業後20年以上経過しすっかり忘れられた私の名を再び表に出す良い機会と思いお受けしました。
 この文章が皆様に届くのは恐らく4月1日でしょう。4月といえば桜というイメージですが、振り返ってみると在学中花見をしたという記憶がありません。やはり柔道部にとって4月は新勧です。15人戦で勝つということを最大の目標としているからには一定レベル以上の選手を15人揃えなければなりません。そのためにはひたすら勧誘です。
 この時期に私に依頼してくるというのは勧誘について書けということでしょう。ですから小内刈でもカメでも二重絡みでもなく、車でも酒でもスキーでもなく、おとなしく勧誘の思い出を書きます。
 私が3年で主務になった時、柔道部はかなり厳しい状況にありました。2年以上が12人で、三商大を戦うにはまだ見ぬ1年生をあてにしなければなりません。部の運営に関しても4年が2人しかおらず、前任の主務だったマシュマロマンさん(仮名)が逃亡してしまい一体どうすればいいんだという気持ちでした。
 最近は新勧係という役職があるようですが、当時の新勧は主務が指揮していました。部員を集めてポスターを作れと言ったものの特にアイデアがある訳でなし。困り果てて苦し紛れに1枚書いたのが「スキー&柔道クラブ 冬はスキーをやりそれ以外は柔道をするクラブ」というものでした。これがその場にいた者にはうけた。当時は津田先輩、香川君、西並君と絵心があって異様に乗りの良いメンバーが揃っていたので、「スキー」「マリンスポーツ」「ナンパ」「合コン」等々の無茶苦茶な内容のサークルのポスターがたちまちのうちに何十枚もできました。柔道部とはどこにも書いていませんが末尾はすべてマル柔マークで結ばれ、どこから見ても柔道部とすぐに分かります。
ボートやクリムゾンがきちんと印刷したものを秩序正しく貼っているのに対し、模造紙にマジックで手書きした柔道部のポスターが小平分校を席巻しました。
 我々が面白がって作ったポスターを1年生も喜んでくれました。その結果柔道部に対するイメージも随分と変わったと思います。練習には毎回多くの1年生が見学に来てくれました。そこから後は過去何十年の間に蓄積された伝統のノウハウをフル活用です。それ以後毎年2ケタ以上の入部が続き、柔道部は部員40名以上の大所帯となりました。
 一橋の体育会の中で柔道部だけ大幅に部員を増やしました。また東京の大学の柔道部で一橋だけ大幅に部員を増やしました。他校との練習試合でも人数が釣り合いません。そのため一橋のOBが相手校に助っ人として入るということが何回もありました。また乱取り中は大勢の者が壁際にあぶれて立っています。一本終わるごとに元立ちめがけてみんな一斉にダッシュしていきます。乱取り一本やるにもじゃんけんに勝たなくてはならないという状況でしたが、道場は活気に満ちていました。
 社会人になって21年になりますが、相変わらず波乱万丈の人生で自分でも呆れてしまいます。不動産業界での職歴がついにタイヤの倍になりました。業界内でもそれなりに古株です。卒業する時にはまさか自分がこのような人生を送るとは思ってもいませんでした。私に小説を書くだけの文才があれば直木賞でもとれるのではないかと思います。
様々な場面で揉みくちゃにされどん底から這い上がることを繰り返していていると、「参ったなし」という言葉の奥深さを思い知らされます。今は自分なりに「困難に直面してもあきらめてはいけない。気持ちを切ってはいけない。」と解釈しています。かつて「ゴキブリが絶滅しても長濱は死なない」と言われたこともある私です。これからも「参ったなし」という言葉の意味をかみしめていきたいと思います。
頑張っている人たちに囲まれるとこっちもやる気が出ます。仲間は大切です。かなわないと思ったらその人に真似のできない自分を探したらいいのです。愚痴を言ってもしょうがない。どんな状況でも今の自分にできることは何かを考えます。追い風の時には絶対調子に乗ってはいけませんが、向かい風の時には勇気を持って立ち向かわなければなりません。そうやって一生懸命やっているとチャンスが自分を見つけてくれると信じています。自分に言い訳はしたくありません。だからやる。
今日も頑張っていきましょう。
5月号は三商大戦5連覇の時代に大車輪の活躍をした香川君(H4年卒)にお願いしたいと思います。大阪戦ではいつも4人も5人も抜いていたので、香川君の次の出番の時は精神集中が大変でした。最近はほとんど中国にいるようで、この原稿作成時点では四川省の山の上にいるとのこと。お忙しいと思いますがよろしくお願いします。


6.卒業に寄せて

主将 山田拳
 教室で手にしたビラを見て、まるで何かに取り憑かれたように有備館をのぞきに行きました。そして、異常なまでに優しかった先輩方(今考えると気味が悪いくらいの!)の口車にあれよあれよと乗って、入部することに決まりました。早いものでそれから4年経ってしまいましたが、柔道部に入部してほんと大正解でした。四年前の自分を褒めてやりたいです。
 入部以来始まった柔道部生活は、本当に多くの方に支えられていました。「支えられていました」という言葉では言い表せられないくらい「支えられていました」。柔道部員であるというただそれだけの理由で、赤の他人の自分にここまで大きなご支援を下さる人がいるということはめちゃくちゃ贅沢な話です。本当にありがたい話です。
濃い濃い柔道部での4年間は色々ありましたが、今でも忘れられないのは、昨年の4月23日に5人の新入部員が一度に入ったことです。(2年間部員が入らず絶望状態で迎えた最後の年に、突如訪れた幸運がなんと嬉しかったことか!)
 最後の1年間は先輩経験の無い我々と柔道経験の無い1年生でしたが、無い無い尽くしで途方に暮れてしまうことはありませんでした。先生や先輩方(一橋柔道部のみならず中村先生など他校の方にも)がその都度的確な助言をくださり、結果こそ及ばなかったものの、我々が一つのチームとして三商大戦を戦うことが出来たのは結束の強い一橋柔道部であるからこそ成せたことで、これはめちゃくちゃ意義深いことだなーだと勝手に思っております。
楽しい柔道部生活は多くの方からのご支援で成り立っていました。多くの難しい単語を織りまぜた激励で、「いやー今日も賢くなったな〜」と錯覚させて下さった大月先生。先生の仰った通りの動きが出来ない我々にも粘り強くご指導してくださった野瀬先生。3年間打込みパートナーをさせて頂いた中田コーチ。横浜国立大でも東北大でもなく一橋の方なんじゃないかというくらい道場にいらしてくださった中村先生。「頑張れ!」といつも全力でご支援下さった先輩方。その中でも特に主将として引っ張っていって下さった柿元先輩、荒井先輩、木村先輩。大変感謝しています、本当に有難う御座いました!!
 最後に荒井さんと丹羽君へ一つずつ。
 荒井さん、本当に有難う御座いました。荒井さんが卒業してから僕らが卒業するまでの2年間、毎週のように道場に泊り込みで稽古に参加してくださった荒井さん。いつもいてくださって本当に嬉しかったです。
 丹羽君には、気分屋の性格もあって4年間迷惑を掛け続けました。腹立つことも多かったと思いますが、いつもニコニコ優しかったです。
 2人には先日の上田先輩の結婚式の時にお礼を言おうと思ったのですが、恥ずかしくて言えなかったので、この場をお借りしました。この場に書くのも恥ずかしいですが。
                          
主務 丹羽大地
 運よく合格した一橋大学ではあるが、4年間の学生生活と柔道部生活を終えようとしている。錚々たる柔道部の先輩方と同じ所に、私の名前が掲げられると思うと、嬉しい半面、肩身が狭いような思いもする。
 柔道面においては、四年間の旧三商大戦の成績は2敗6分。中学生時代から柔道を続けてきたにも関わらず、一つも勝ち星を上げることができなかったのである。過去には、初心者から始めて抜き役になった先輩、分け役として神戸や市大のポイントゲッターを完全に封じ込めた先輩などがいらっしゃるなかで、なんとも不甲斐ない。ましてや、野瀬先生、中田コーチという超一流の先生方から指導を頂きながら、それを実力に変えていけなかったことは非常に残念なことである。
 また、学業面においても、大学内で最底辺を歩んできた。4年間という長い時間を使いながらも、146単位(卒業要件は144単位)を、4年生の後期になってギリギリ取得した。GPAも1.5であり、もし入学年度が二つ遅れていたら、成績不十分で卒業できていなかったのである。そして同期の山田は一年間柔道部をまとめてきた統率力があり、山岸は学部の主席を務めるほどの頭脳を持っている。そんな中で、私のような人間が、経済界を牽引する働きをされている先輩方の中に名前を並べてしまっても良いものなのか。正直、肩身が狭い。
 ただ、私が柔道部で4年間を過ごしてきたことは事実であり、どんな形であっても、今後一橋大学柔道部の名前を背負っていくことになる。それゆえ、私は一橋大学柔道部の名に恥じないような人間になるべく、より一層精進していかねばならないのである。
 このような思いを持つことができたのも、柔道部のおかげである。先生方からは超一流のご指導を頂いた。先輩方からは多大なるご支援と共に、超一流の仕事の話や体験談などを聞かせて頂いたこともあった。前柔友会長の浅賀先輩には、「社会人になるにあたって」という講話を頂いた。これほどまでに偉大で尊敬できる人々と関わることができる機会は、恐らく今度の私の人生において、そう多くはない。だからこそ今後は、自分を戒め、より高い次元に身を置く努力をしていかねばならないのである。
 取り留めのない稚拙な文章になってしまいましたが、最後に、大月先生、野瀬先生、中田コーチ、及び、前会長の浅賀先輩始め、多くの先輩方に御礼を申し上げます。有難う御座いました。そして、今後とも変わらぬお付き合い、ご指導ご鞭撻の程、宜しくお願い致します。

副主将 山岸拓也
今春、一橋大学ならびに柔道部を卒業することになりました。柔道部では様々な経験をする機会に恵まれ、私と同様に今春に一橋大学を去る者に比べて、遥かに充実した学生生活を送ることが出来ました。現役引退そして卒業という節目を迎えるにあたって、一橋大学柔道部のエトニーを実感する場面が増えました。
恐らく柔道部を卒業された先輩方も経験があると存じます。現役引退の後に、必然的に柔道部以外の者との会話などが増え、そこで考え方(文化といってもよいかもしれません)の異なる者と触れ合うにつけ、若干の違和感を感じてしまう。私はこれを柔道部のエトニーとして認識しました。多くの場合、「この人、大したことないな・・・。」となってしまうのも、柔道部に属していたために、自分の社会人像が威風堂々の剛毅な先輩方をモデルとして構築されているからに他なりません。このような例は極めて稀なケースなのであるということを現役引退後知りました。
また、現役引退後もOBとして現役学生に関わっていくことがこれほど奨励される部活動も珍しいという事実も初めて知りました。現役引退後に「その日は部活に顔を出さないとだから。」と口にする機会がありますが、次のような質問があります。「引退したのになぜ行くの?」「現役学生は嫌がらないの?」これらの質問には驚きました。きっと質問者も驚きとともに発した問いなのですが、私にとっては極めて当然な事象であり、「1+1はなぜ2なのか?」というエジソンの質問をぶつけられたに近しい感覚でした。これも柔道部のエトニーなのでしょう。
このような経験から、恐らく今後の人生が価値観の相違の実感の連続であることが予想されます。その時は、自分の方が正しいが少しばかり人とは違っていることを認識しておかないと要らぬ摩擦を生んでしまう惧れがあります。かといって摩擦を恐れると正しさを失うので、折に触れて有備館を来訪することが必要だと感じています。
最後になりましたが、今まで御指導を賜るという僥倖に預かることができました先生方ならびに物心両面で我々の柔道邁進を支えて頂いた先輩方には、この場をお借りして厚く御礼申し上げます。そして人数が少ないながらも最後まで折れなかった同期にも感謝したいと思います。同期との切磋琢磨が今の私を作りました。後輩諸君には一橋大学柔道部の益々の発展を託したいと思います。次の引用を残して新たな世界に進みたいと思います。
臣不勝受恩感激 今当遠離 臨表涕泣 不知所云

7.卒業される先輩方へ
新主将 板羽貴輝 
4年生のみなさん、志田原さん、大変短い間でしたが、本当にお世話になりました。この1年間を振り返ってみると、語りつくせないほどの思い出があります。暑い夏も、寒い冬も、有備館で体と体で語り合ったからこそ腹を割って話ができる関係が築けたのだと思います。皆さんから受け継いだ一橋大学柔道部のバトンを確実に次へと手渡してゆけるよう邁進してまいります。新2年生中心で少々頼りなく感じられるかとは思いますが、あとは我々に任せてください。最後になりますが、先輩方とともに柔道修行に明け暮れた日々は私たちにとって一生の宝です。有備館に戻られ、再び一緒に柔道ができる日を心待ちにしております。1年間ありがとうございました。


8.編集後記
国立の桜も徐々に満開になって参りました。新歓活動も花開くよう、皆様のご指導ご鞭撻を引き続き宜しくお願い致します。
お忙しい中、記事を書いてくださった福谷先輩、長濱先輩、山田先輩、丹羽先輩、山岸先輩ありがとうございました。本号は募金係の福島が担当致しました。引き続きご愛読の程よろしくお願い致します。
以上
柔道部員一同
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